「それでね、今度のコンサートではドビュッシーを弾こうと思うの」
「ふうん」
「本当はラヴェルをやりたかったんだけど、やっぱりね」
「ふうん」
「葛葉はどう思う?」
受話器からきこえてくる母親の声は、先程からずっとこの調子で仕事の内容ばかり語りかけてくる。こちらがクラシックについての興味も造詣も持ち合わせてないことなど、おかまいなしである。
「いいんじゃない」
「そうよね。やっぱり、こういうときにはドビュッシーに限るわよね」
どういうときなのかはわからなかったが、とりあえず頷いておく。
母親の昔からの口癖は、天才ピアニストと天才ヴァイオリニストの娘が音楽に興味を持たなかったことは音楽界にとって多大な損失だ、というものだった。もっとも、わたしは彼らがテレビにでたところを見たことがないし、ましてやポスターになってコンサートホールの壁に張り出されたところだって見たことはなかったから、それは自称の域を出ていないということだろう。わたしたちのかわいい娘はピアノをほっぽりだして本なんかに夢中になっている、というのは4・5歳の頃さんざん繰り返された嘆きの言葉だったが、いまでもわりと頻繁に言われている。音楽ばかりにかまけていた彼らへの反動というわけでもなんでもないのだが、気づいたらそうなっていた。
「そういえば、夏はどうするの?」
なおもリストがどうだのシューマンがどうだの話そうとする母親のすきをついて、わたしはすかさず言った。
「夏はアメリカの方へツアーに行くのよ。お父さんも一緒に。」
母親は淀みなく答える。わたしは少し考えて、
「前、日本に一度帰ってくるって言ってなかったっけ」
ときいた。
「前っていつの話よ」
「この前電話したとき」
今年はじめて雪の降った日のことだった。もう5ヶ月も前になる。
「それだけ時間が経ってたら予定なんか変わっちゃうもん」
わたしは一瞬なんて答えたらいいかわからなくなった。間違っても50になんなんという人の言葉遣いではない。
「葛葉も一緒に行かない?」
「どうしようかな」
「あら、珍しい。葛葉がきっぱり断らないなんて」
「予定が特にできなかったら、ほんとに行くかも」
「夏休みは予定ないの?」
ないよ、と答える。
「来るなら早目に言ってね。チケットとかホテルとか、いろいろ手配しなきゃいけないから」
わかった、と相槌をうちながらも、頭は別の場所を漂っていた。今日はとても残念なことをした、と思う。夏になったらまたしばらくあえない日が続くだろう。
「そういえば、荷物は届いた?」
荷物の中に、今日この時間に電話をする旨の書かれた手紙が入っていた。だからこそ今電話をしているのだが、言っても仕方ないので黙っていた。
「届いたよ」
「あのチョコレート、もう兄さんたちに渡した?」
「え、あれ、伯父さん用だったの?」
「当然じゃない。まさかあの量をひとりで食べるつもりだったの?」
わたしはむっとして、でも何にむっとしたのかわからなくて口をつぐんだ。
「そういうわけじゃないけど…」
ちゃんと兄さんに渡すのよ。あと、よろしく言っておいてね。
電話の中の母親はそれだけ言うと、あっさりと電話を切った。伯父さんに代わろうかと提案される前に先手を打ったというわけだ。受話器を置きながら、わたしはため息をつかずにはいられなかった。この人たちのマイペースさといったら!
義務教育が終わるまではと15年間日本に腰を落ち着けていたのが信じられないくらいだ。彼らなりに育児に対して常識とポリシーは持ち合わせていたわけである。かといってたかが娘のために自分の夢をきっぱり諦めるほど育児に情熱は持ち合わせていなかったようで、わたしが中学を卒業したら速攻で外国に渡るつもりで長年準備を進めていたらしい。「お母さんたち春からウィーンに行くんだけど、葛葉はどうする?」と意見を求められたのはなんと中学3年の秋になってからだった。高校の願書をもったまま呆気に取られたのを覚えている。結局、伯父夫婦の家に下宿して高校に通うことになり事なきを得たのだが、もはやどこまで感謝してどこまで自分勝手と言って罵倒していいのかわからなかった。おかげで中学最後の冬はひどく慌ただしかった。
別に悲観することでもないし、不満だってこれといってないが、愚痴くらいは言っても許されるだろう。
会話がやんだのをききつけたのか、居間にいる利吉さんのわたしを呼ぶ声がきこえた。それで久しぶりに、わたしは自分が今伯父夫婦の家にいることを思い出した。うちには固定電話がないので、借りに来ていたのだ。
「今日、夕飯どうするの?」
利吉さんはソファに身を沈め、のんびりと夕刊を広げている。
「どうしようかな」
曖昧な返事に反応したのか、食事の支度をしていた伯母さんが、キッチンからひょいとこちらを向いた。
「あらあら、もう葛葉ちゃんの分も用意しちゃったわよ」
確かにそのようで、ダイニングテーブルにはきっちり4人分の食事が並べられつつある。その食器は高校に入るとき、わたし用にと特別に買い揃えられたものだった。両親が夢を追って海外に飛んで以来、この伯父夫婦がわたしの保護者だった。大学生になってひとり暮らしを始めた今でも、しょっちゅうお世話になっている。
「冗談ですよ。いただいていきます」
「葛葉は一人暮らしするって言ったわりに独り立ちしないよな」
わたしはむっとする。
「一人暮らしって独り立ちと同義?わたし、親の脛かじって独り暮らししてる人たくさん知ってるわよ」
何人かのクラスメートと、三郎の顔が頭に思い浮かんだ。利吉さんは意地悪く笑っている。
「いいじゃない。うちは男ばっかりでむさくるしいから、葛葉ちゃんが来てくれた方が空気が華やいでいいわ」
それに、と伯母さんはにっこり笑う。
「やっぱり、葛葉ちゃんがいないと寂しいわ」
この人たちとは、3年間という決して短くない時間を過ごした。小説にありがちな、下宿する姪と伯父家族間のぎこちなさというのとは無縁だった。本当の家族だと言ってもいいと、きっとお互い思っていた。そう口に出さなかったのは、やはり海の向こうの家族への遠慮があったからだろう。同じ理由で大学に入ってから独り暮らしをすることを選んだ。人の関係とは厄介だなと思うが、決して辟易しているというわけではない。大切なのは形式ではなく、距離だからだ。
そのあと、わたしはキッチンから食事を運ぶのを手伝った。利吉さんが椅子をひきながら、
「今日は泊まってくだろう?」
ときいてくる。頭の隅を置き去りにしてきた2人の顔が過ぎったが、あらゆる面倒くささに負け、結局わたしは頷くことになる。その様子をみていた伯母さんが嬉しそうに言う。
「なんだかんだ言って、利吉も嬉しいのよね、妹がいるみたいで」
わたしは少し考えてから、
「わたし、こんなひねくれ者が兄なんて嫌です」
憮然として言った。