美術館のそばにある喫茶店の窓からは、道行く人々の足取りを眺めることができる。冬の目印としてのオーバーコートや色とりどりのマフラーに身を包み、毛糸の手袋ごしに指をさすりながら、大勢の人がガラス窓を横切っていく。雪でも降っていれば日本人がイメージする冬のステレオタイプに文句なく昇格なのだが、あいにく空の上には太陽が輝いているので、この風景はただの冬として季節に埋もれていくしかない。
はじめて入った喫茶店は土曜日の昼だというのに人気がなく、わたしと兄以外にいるのはマスターだけ、という具合だった。静かなボリュームでフレンチポップが流れている。有線ではなさそうなので、きっとマスターの趣味にちがいない。
「当ててみましょうか」
紅茶とコーヒーを運んできたマスターが口を開き、わたしと兄は同時に彼の顔を見上げた。つまり、わたしたちは今までお互いに無言で窓の外を眺めていた。
「君たち、美術館に行った帰りでしょう」
「正解です」
兄が愛想のいい笑顔を作って相槌を打つ。兄の声はいつもわたしに透き通った水を想像させた。
「なんでわかったんですか?」
わたしたちはパンフレットの類も持っていなかったし、店に入ってから展示への感想を言い合うこともしていなかった。
「なんとなく、芸術の香りがしましたものでね」
「芸術の香り、ですか」
「そう、芸術の香りです」
「美術ではないんですね」
わたしは思わず口を挟んでいた。
「え?」
「だって、美術館に行った帰りなら美術か絵画の香りがするはずです。芸術だったら、もしかしたらコンサートに行った帰りかもしれませんよ」
「ああ…そういえばそうですね」
マスターはそこではじめて気がついたというように大きく頷いてみせた。兄の視線がこちらを向いていて、それはわたしの揚げ足を咎める合図にも見えたし、おもしろがるような色をはらんでいるようにも見えた。
「でも、うちの近くには美術館はありますけど、コンサートホールはないですから」
マスターの間延びした声が意識の片隅を流れる。なんにせよ、芸術ですよ、芸術。そうですね。
「休日にふたりで美術館とは、仲がいいですね。もしや双子ですか?」
「いいえ。年子です」
「そうですか。まあゆっくりしてらして下さい」
マスターはそう言い残すと、気を遣ってか奥に引っ込んでしまった。気さくで、自己主張の激しすぎない、口元にひげを生やした中年男性だった。「古き良き喫茶店の理想的なマスター」というラベルをつけて飾れるな、と思った。赤ペンで“希少!!”と付け加えてもいい。
「これって、映画かドラマになると思わない?」
チョコレート色のコーヒーにピッチャーからミルクを注いでいた兄は、そこで視線を上げた。
「なぜ」
「父親の違う兄妹が、一緒にエッシャー展をみて、帰りにレトロな喫茶店でティータイムをしている。センチメンタリズムって言葉にぴったりじゃない?」
兄は表情だけで笑った。
「さあね。でも映画にもドラマにもならないよ」
「どうして」
兄の白く長い指先が銀のスプーンをつまみ、くるくるとカップの中身をかき混ぜた。そうしてチョコレート色の液体は、白濁した茶色の液体になる。
「悲劇がないからさ」
展示が変わるたびに二人で美術館に足を運ぶのは、いつのころからか始まったかけがえのない習慣だった。わたしたちはどんな展示でも観る。エジプトのミイラ展でも、ルネッサンス展でも、浮世絵展でも、仏像展でも、昆虫展でも、なんでも。anything。もともと美術館が好きだったというのもある。でも一番の理由は兄と会うための口実に過ぎないからだった。兄が隣にいればわたしはどこを旅していようがかまわなかった。エジプトだろうが、トルコだろうが、中国だろうが、宇宙だろうが、地中奥深くだろうが、一向に頓着しなかった。
数多く見てきた中で、わたしの意識に強く爪あとを残している芸術作品は、きまって兄の思い出と強く結びついていた。たとえば、兄が隣で小さく咳をしたりする。あるいは、絵画に気を取られた兄が、立ち止まった私に気づかず、背中にどすんとぶつかってきたりする。あるいは、兄がちょっと身を乗り出して、絵画の横に貼られている説明の文章を読んだりする。そんなことがあると、たちまちすぐ傍にある作品が、わたしの意識に強く残るのだ。
でもわたしたちは帰り道に展示に対する感想をとりたてて言い合ったりはしない。きれいだったねとか、ジョウネツテキな色使いだったねとか、どうもあの画家は肌に合わないなとか、そんな程度のことをぽつりぽつりと独り言のように一言二言ずつ交わし、それで美術の時間はおしまいだった。それからはお互いの近況報告のようなものをし、ときには喫茶店やファーストフードで軽食を取り、最寄の駅で方向の違う電車に乗る。そうして電車に貼られたポスターが変わる頃になってわたしが受話器を取るまで、ずっとお別れである。例外はない。
わたしたちの会合はひどく淡白だった。なのに他人はときにそれを良好な関係と呼んだ。傍から見たらほほえましい兄妹にみえるのかもしれない。それとも、”異父兄妹にしては”良好、という限定法が使われているのかもしれない。でもわたしは単に、境界線を踏み越えないことを知っているだけだと思っている。困難な人間関係を形作る元凶となっているのは、えてして心の境界線だ。どこに境界線が引かれているかわからないから、人はときに踏み込みすぎ、ときに彼方を歩きすぎ、憤怒したり傷ついたりするのだ。
兄は人より成熟するのが早い、どこかあやまちめいた子供だった。妹であるわたしは兄から落ちる雫を頭のてっぺんから染み込ませて育った。だからわたしたちはお互いの境界線のすぐそばを、バランスを保ったまますいすいと歩く術を知っている。
兄はコーヒーに少しだけミルクを混ぜて飲む。わたしは紅茶に角砂糖をいくつか混ぜて飲む。レモンはいれない。使う?、と兄にとわれたときにだけ、ミルクを入れる。
「高校はどこを受けるんだ」
兄は唐突にきいてきた。中学三年の冬。もうじき高校受験という魔の季節だ。わたしは志望校の名前だけを簡潔に言った。
「…遠いな。通学に時間がかかる」
「大丈夫。引っ越すから」
「高校から独り暮らしをする気か」
「まさか。山田の伯父さんちでお世話になることになってるの」
「…なぜ」
「お母さんたち、春からウィーンに行っちゃうから」
兄はコーヒーカップに指をかけたまま、少し呆気に取られたようだった。少しの沈黙をはさんだあと、
「相変わらず勝手な人たちだ」
と、そっと笑った。
兄の中で何かつきものがするりと落ちたかのような笑い方だった。憎憎しげな眼光はもはやどこにも見あたらなかった。はじめてみる微笑をたたえる兄は、寂しげというよりはむしろ寂しさとなにかの秘密を共有するふうに見えた。
「でも…四月からは兄さんと会いやすくなる」
兄が少し驚くような顔を作ったので、わたしは慌てて、だって伯父の家は兄の家から電車一本でいけるでしょう、と続けていた。でも本当はそんなことを言いたくて口を開いたのではなかった。
「悲劇があるっていうのと悲劇的であるっていうのでは、少し意味が違うと思わない?」
ききたいことなら山ほどあった。