現実ということについて考える。たとえば、いい加減な気持ちで口にした言葉。なんの気兼ねもなく無謀に発せられた言葉。仰々しい訓示よりもリアリティにあふれていると感じてしまう。意識。無意識。なんと形容するかはしらない。けれどただひとついえるのは、人間よりも動物の方が現実的である、それと同義であるということだ。そして本能も理性も、どちらも同じ程度に救いようがない。
朝日のたっぷり降り注ぐ店の入り口に立って、曲がり角へと消えていく背中を見送った。
「じゃあ、よろしく頼んだよ」
わたしは戸口によりかかりながら、ひらひらと手を振ってそれに答えた。おそらく今日もだれも来ないだろう。定年に達した伯父が道楽ではじめた店だったから、訪れる人といえば親類一同と伯父の友人、そしてごく一握りのマニアに限られた。宣伝をするとか、もっと方法はあるだろうにと思う。しかし別段客の少なさを嘆く様子のない伯父をみていると、わざわざ口に出すのも憚られた。人の作り上げた世界を壊すのは厳禁だとわたしは思っている。世界と世界は関わることはできるけど、ねじまげることはできない。できたとしてもその資格などありはしない。苦痛を伴うのは嫌いだし、そのことで肩を落とす必要もないと思う。個人の思惑などよそに日々はただ流れていく。足元にはいつも今日しか残っていない。
しかしそれでも歯がゆさはぬぐえない。どこで培ったのやら、どういうわけか伯父には選書の実力がそなわっているので、品揃えに関して言えば、同業者の中では群を抜いているのだ。もっとしかるべきところで、しかるべき人たちにきてもらうべきではないか、と思う。一度だけそう零したことがある。もちろん伯父本人に対してではなく、利吉さんにだった。元旦で、こたつで丸くなっていたところを初詣に引っ張り出されたときのことだ。
「好きにやらせてあげればいいよ」
甘酒の入った紙コップで指をあたためながら、利吉さんはそう言った。
「でも、もったいないじゃない。実力はあるのに」
「そりゃ僕だってそう思うけどさ。ようやく自由に使える時間と身体ができたんだから、父さんの思い通りにやらせてあげようよ。今までずっと単身赴任で、大変だったんだしさ」
利吉さんの声のトーンは始終明るいのだった。この人たちといったら愛情に溢れているのをいいことにいまいち地面に足がついていない。わたしに言わせれば、楽観的すぎる。血筋なのかもしれない。
「…遺産がなくなっても知らないから」
わたしはマフラーに顔を埋めた状態でもそもそと、我ながらかわいくない口をたたく。布のすきまから白い吐息が立ち上がるのをみていると、
「生憎ぼくの方が高給取りだからね」
と強気な皮肉が返ってきた。不謹慎な言葉にも頓着しない。皮肉はもはや日常の一部だった。
「ずいぶん高い鼻だね。8分の1でも血がつながってるなんて思いたくないなぁ」
「大丈夫。8分の7も他人だって思えばいいんだから」
そう言って高給取りのフリーランスはにっこり笑うと、半分残った甘酒のコップをこちらによこした。いつごろからはじまったのやら、屋台の甘酒をわけあうのはふたりのかわらない習慣になっていた。ダッフルコートのポケットから手をだして、あたたかい紙コップをうけとった。今年は何口飲めるだろうかと思ったのを覚えている。毎年そう思うので、どの年の思いなのかまではわからない。
ふいに人の気配をすぐそばに感じて、感じたと思ったときにはシャツが視界の大半を占めていた。ぱちぱちとまばたきをして、顔を上げる。
「あ、今日は仕事してるんだ」
久々知くんは大きい目をさらに大きくして、少し驚いているようだった。
「今日はって、なに」
「いや、てっきり今日も本読んでるのかなって思ってたからさ」
「もしかして久々知くん、わたしのこと給料泥棒だって思ってない?」
彼と最後に会ったのはたしか先週のことだ。そのときはまさか、本に積もった埃をはらっているところを目撃されることになるだろうなんて、考えもしなかった。
現実的というのはそもそも非現実的の別称なのかもしれない。善と悪が同義であるのと同じように。
しまりなく開いた口を、マスクが隠してくれていたのが唯一の救いだった。
(群青色の驚愕)