闇雲テレフォン1

「すっごい変な奴の話きいたんだ」
店員に追加の生ビールを注文し終えるなり、三郎は言った。含み笑いを隠そうともしない。
「どんな話?」
もつ鍋を三郎の分も小皿に取り分けてやりながら、雷蔵は答える。

「カエル好きの男がいるらしいんだけど、それがカエルをものすごくかわいいって言っちゃう位、好きらしい」
「まぁカエル好きって言う位なんだから、かわいいと思ってるんだろうね」
「そっか。とにかくそういう男でも、人間で好きな女の子ができたらしくて」
「さっきから『らしい』ばっかりだね」
「人から聞いた話なんだから当然だろ。で、そいつが好きな女の子といい雰囲気になったときに、なんて言ったと思う?」
「見当もつかないなあ」
「『きみ、カエルに目が似てるね』だって。信じられるか?」

雷蔵は豆腐を切り分けていた箸をとめ、少しの間考えた。

「それは…どういう意味?」
「意訳すると、『カエルみたいに目がくりっとしててかわいいね』らしい」
「うわぁ…いろいろ言葉が足りてないね。それで、女の子の方はどうしたの?」
「そりゃ当然怒るだろ。それではじめてそいつは失言に気づいてあわてて弁解したはいいものの、彼女の方はすでに価値観の相違を決定的なまでに感じていた。それで結局、発展は壊滅的になった」
しめくくりに仰々しい語彙で飾るのは三郎の癖で、下手をすれば抑揚を欠いた面白みのない音になってしまうところを、彼はいつもいたって美しく高らかに読み上げるのだった。自分も含め、他の男であったならばこうはいかない。涼しく、整った顔の底から無意識に溢れ出る知性と機知、そして少しの毒。
「だろうねぇ」
「信じられないよな!」
三郎はさもおかしそうに声をあげて笑い、雷蔵もそれにつられて笑顔で答えた。ふたりの笑い声がちょうどおちついた頃に店員がビールとからあげを持ってきたので、彼らはふたたびジョッキを鳴らす。
 
 
 
 
 
家庭教師先の生徒の都合で思わぬ休みが舞い込んだはいいものの、目下の課題は全てやりおえていたので、手持ち無沙汰になってしまった。しかし19時と言う時間は何をはじめるにも中途半端な時間である。ふと、そういえば最近三郎と会えていないなと思い、駄目もとで電話してみれば、久しぶりに飲みに行こうと誘われた。それで早速、チェーン店だが安くて料理のうまい、近所の飲み屋にぶらりとやってきたのだった。

からあげにレモンを絞りながら、雷蔵は三郎の顔をちらりと盗み見た。言い出した本人であるにも関わらず待ち合わせに10分遅れてきた三郎は、頻繁に笑って明るく振舞ってはいるものの、どう見ても疲れを隠せない顔をしている。思い当たる節といったらひとつしかないので、雷蔵は呆れ顔を作らざるをえなかった。彼を形成するアイデンティティのうち、決して軽視できない、ある種の柱のようなものになっている。
雷蔵の視線に気づいた三郎はへらっと笑い、「昨日の夜から家出る直前までずっと部屋に居座られてさ、泣かれてた」と、悪戯が見つかった子供のように弁解した。ということは、先ほど電話したとき、彼の隣ではどこぞの少女がすすり泣いていたというわけである。そんな中、普段と変わらない能天気な声で雷蔵を飲みに誘うとは、見あげた神経だ。

「いまさら言っても無駄だってわかってるけどさ、もうちょっと自粛した方がいいと思うよ」
「自粛していても向こうから寄ってくるんだな、これが」

三郎の顔はあくまでも悪びれない。あまりに淡白すぎて、雷蔵には彼が哀れな少女たちに向かって愛の言葉を囁く姿を全く想像できなかった。そもそも、囁くことなど必要ないのかもしれない。漠然とした愛の形など不透明すぎて誰にも察知できないのだから、そこにもともとないことなんて、浅はかな少女たちであれば尚更わからないだろう。魅力や肉欲という言葉に置き換えられるならともかくとして。

「性病と子供にだけは気をつけてよね」
「うっわ。生々しいこと言うなよ…ただでさえ気にしてんだから」

気にするくらいならやめてしまえばいいのに、という言葉は決して喉から滑り出はしない。そんな役割を彼は自分に望んでいないのだし、それに理由はおそらく、と察せられてしまうあたり、彼のペースに巻き込まれているのをひしひしと感じる。かといって嫌な気分ではないし、しかもいざという時に主導権を握るのは自分であると、雷蔵はちゃんと知っている。
不定腐れたようにビールをあおる三郎からは、色濃く疲労のにおいがした。あんまり飲まない方がいいんじゃないのと言おうとしたところで、「そうだ、あいつも呼ぼうぜ」と三郎がいきなり声をあげた。誰のことを言っているのかはすぐにわかったので、彼は素直に名案だと思った。ないことに気づかない女がいれば、あることに気づこうともしない女もいる。やにわに元気を取り戻し携帯電話のコールボタンを押す三郎を眺めながら、雷蔵はひどく察しの悪い彼女の白い顔を思い出していた。