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白米、味噌汁、野菜のうま煮、揚げ出し豆腐。
ショウケースに並べられた皿をプラスチックトレイに取り、レジで会計を済ませてテーブルへ向かう。昼休みは賑わいを通り越して大混雑をみせる学食も、夜のこの時間帯となればほとんど利用者はいないので閑散としている。なぜこんな時間まで営業しているかといえば、それはやはり一応ちゃんとした需要があるからなのだろうが、それでもちゃんと収支がとれているのか心配になってしまう。特に今日は自分と連れ以外の人影は見えず、食堂には調理場から機械の唸る声が響くだけで、他は全て窓の外の暗闇に沈んでいた。
先に席についていた竹谷の正面にトレイを置いた直後、葛葉は思わず「げっ」と上品とはいえないうめき声をあげた。なんだよ、と訝しげな顔をした竹谷の前には、B定食の他にプラスチックの飼育ケースが鎮座ましましている。

「なに、これ」
「ああ。実験で使ったイモリだよ」

ケースには水が張られており、その中ではぬらぬらと光る何かがじっと身動きもせずにうずくまっていた。

「なんで、実験のイモリが、ここにいるの?」
「実験で使ったイモリが増えすぎちゃってさ。もらってきたんだ」
「ってことは、家で飼うの?」
「もちろん」

竹谷は平然としている。

「最後まで面倒見るのは人として当然だろ」

彼は生物学科の学生らしく、生きとし生けるものにはすべてこよなく偏りのない愛を注いでいた。結構なことだ。しかしひとつ厄介なことに、彼の愛情が、葛葉が愛玩の対象とみなすのを断固拒否している生物(毛の生えていない爬虫類、ぬらぬらとした両生類、グロテスクな形状をした昆虫、いるのかいないのかわからない微生物)にまで及んでいるのだった。

「前、なんか他に飼ってなかった?」
「プラナリア?」
「知らないけど。それはどうなったの?」
「別に、一緒に飼ったって問題ないじゃん」

当然のようにそうのたまわれたところで、葛葉にはプラナリアがなんなのか知らないのでどう返答していいかわからない。とりあえず確実なのは、竹谷の部屋には得体の知れない何かが潜んでいて、それが今日またひとつ増えたことにより、葛葉が竹谷の部屋に上がる可能性がゼロなったということだけだった。その事実に、当の竹谷はまったく気づいていないのだが。

葛葉ちゃんもいらない?たくさん卵産んじゃって、困ってるんだ」
「いらない。なんか毒ありそうだし」
「え、なんでわかったの?」
「あるの?!」
「首から出すんだ。でも小鳥を殺す程度だよ。注意してれば全然へーきだって」
「いらない。毒なんてなくてもいらないけど、あるならなおさらいらない」

葛葉はこれ見よがしにざざっとトレイをケースから離しながら席についた。
「すっげ腹減ったー」と竹谷がしょうが焼きに箸をつける。いかにもうまそうに豚肉を頬張る竹谷を見ているうちに葛葉も忘れていた食欲を思い出し、割り箸を割った。できるだけ左横の粘膜的な物質には目をやらないように気をつけながら。
 
 
 
 
 
今日は午後の授業が終わった後ずっと、図書館で明日締め切りの課題を片付けていた。竹谷からメールが入ったのは、できた文章をプリントアウトし、ホチキスでとめ、ふいに硬直しきった目と肩、そして空っぽの胃袋の存在に気がついてため息をついた、まさにその瞬間だった。実験がたった今終わったのだが、ひとり作業に手間取ってしまったせいで、他のメンバーはみんな帰ってしまった。よかったら一緒に夕飯を食べないか、と誘われたのだった。葛葉はもちろんすぐさま了解の返事を返した。まだ学内にいることを伝えれば、それなら学食に行こう、ということになったのだ。彼は学食を愛している。理由は簡単、「量が多くて安くてうまいから」だそうだ。しかしかたいごはんとぬるいおかずをここまでおいしそうに食べる人間を、葛葉は他に知らない。
彼とふたりで食事をするのはそう珍しくなくなっていたが、夕食を共にするのはこれがはじめてだった。そして葛葉は、学食がこんな遅くまでやっていることも今日はじめて知った。彼は実験でよく夜遅くまで学校に残るので(下手したら終電を逃して泊まることもあるらしい)、たとえばどこの入り口は一日中開いているだとか、どこの電気はいつも点いているから安全だとか、そういうことにやたら詳しかった。

葛葉ちゃんいっつもそれ食べるよなー」
箸を持っていないほうの指が指したのは、揚げ出し豆腐だ。確かに、最近の葛葉は揚げ出し豆腐とサラダとか、揚げ出し豆腐と肉じゃがとか、揚げ出し豆腐の入った組み合わせばかりを選んでいた。揚げ出し豆腐のないときや食欲のない日には冷奴がトレイに載ることになるので、必ずといっていいほど、かの偉大な大豆料理が顔を出さないことはないのだった。竹谷が暗に何を言わんとしているのかすぐにわかった。

「兵助くんがあんまり豆腐豆腐言うもんだから、ついね」
「あれだけ豆腐料理食べさせられてよく飽きないよな。俺はもう飽きたぜ。っていうか嫌いになりそう。しばらく湯豆腐は見たくもないね」

この冬、週末になると葛葉たちは決まって久々知の家に押しかけていた。そういう時、夕飯は3人して久々知の家で食べていたのだが、作ってくれる料理どころか作らされる料理まですべてに豆腐が含まれていた。葛葉は別に異論はなかったが、いまだ育ち盛りを言い張る竹谷にとって肉より多い豆腐は苦痛だったようで、しょっちゅう文句を言っていた。もちろん、家主の権限で封殺されていたわけだけれど。

「また3人で鍋したいね」
「豆腐抜きならいいぜ」

不定腐れたように言う竹谷に、思わず笑ってしまう。

「最近兵助くんどう?」
「すっげー忙しそう。ほとんど家帰ってないみてえだし」
「ふーん。大変だね、部長さんは」
「だよな。よくやるよ」

ふたりして笑い合う。少し寂しいが、そういう彼を嫌いではない。葛葉も、竹谷も。
兵助くんに会いたいなぁ。そう口にしようか迷い、でもやっぱり言おうとしたところで、突然葛葉の携帯電話がブルブルと震えだしたので、彼女は不覚にも驚いて箸を取り落としてしまった。「驚きすぎ」とうろんげな目で見つめてくる竹谷をよそに、(出鼻を挫かれたせいよ)と心の中で弁解をしながら、サブディスプレイに映る名前を確認した葛葉の目が大きく見開かれた。