テトラはしばらくの間、布団を頭からかぶった状態でシーツの冷たい感触を味わっていたが、やがてもぞもぞと這い出して、彼女よりずっと早く起きていたらしいイルミがてきぱきと身なりを整えているのをぼんやりと眺めた。ふと視線をそらした先のサイドテーブルに、彼愛用の針がぎっしり詰まった箱が置いてあったので、手を伸ばしてそれを放ってやる。何の合図もなく背後から放られた箱を、彼は一瞥もくれることなく片手で受け止めた。一歩タイミングを間違えれば、箱の中から飛び出した針が彼の背中一面に浴びせられたはずである。彼は「いらない」とひどくそっけなく言うと、それをふたたび別のテーブルの上に戻した。
「仕事じゃないから」
「打ち合わせ?」
「まあそんなもの」
「あの男と会うんだったりして」
「冗談」
イルミは同じテーブルに置かれていた携帯電話を手に取ると、あっさりと部屋から出て行った。テトラは彼の出て行ったドアをしばらくじっと見ていたが、起きるタイミングを逃したなと思ってふたたび布団を頭からかぶった。
同業者の人たちにこういうと馬鹿にされるのだが、テトラは飛行船があまり得意ではない。短時間であっても一度乗ると、しばらくの間倦怠感が身体からとれないのだ。そんなわけだから、おとといいきなりイルミからメールがきて、「××まで来て」と言われたときには携帯を壊してしまおうかと思った。なぜもっとはやく教えてくれなかったのかとメールで問いただせば、最終試験場がどこなのかは事前に知らされていなかったから、とひどく明解な返事が返ってきた。はやく教えてくれていれば、自力で行ったのに、と歯噛みしてももう遅かった。テトラはしぶしぶ十数時間に及ぶ飛行船のチケットを手配したのだった。
いい加減飛行船に慣れろよと、昨日イルミは会うなりそう言った。テトラの目の下の深い隈と、うんざりと倦怠感を隠そうともしない態度をみとめてのことである。「鉄の塊が空に浮くなんて信じられない」「別に信じる必要なんてない」「自分で行った方がいいわ」「じゃあ今回も自分でくればよかったのに」「大陸が違ったんだもの」「泳いでくればいい」「対流があったから無理」「じゃあ飛んでくれば?」「別にできなくはなかったけど、そうすると間に合わなかったから」「弱点はあんまり作らない方がいいんじゃない」「命を落とすほどじゃないわ。意識ははっきりしてるもの」「ふうん」
そんなことを思い出しているうちに、ふと、そういえば今日の打ち合わせとやらにわたしはついていかなくてよかったのかしらという疑問が浮かんだ。イルミは必要以上に(下手すると必要なことも)喋らないけれど、テトラの力がいるときは遠慮なくそれを口にするので、そう気づいてからというもの、テトラの方から仕事について尋ねることはしなくなっていた。しかし普通に考えてみれば、仕事に必要だからこそわざわざ別の大陸にいた彼女を試験終了後に呼び出したのではないだろうか。
テトラはしばらく目を瞑って考えをめぐらせていたが、まぁいいわとあっさり疑問を手放して、ついでに意識も手放した。身体にはまだ倦怠感が残っている。