まえを見据えるまつげの細さ

彼のことについて考える。最近そんな時間が増えた。なぜかと問われれば例によって答えに窮するが、しいて言うならばすこし自分に余裕が出てきたからとでも言おうか。いや、負け惜しみだとわかっている。少しくらい自分のことを棚に上げても、彼のことを考えざるをえなくなったのだ。無意識のうちの行動だ。自分で気づくのにも、けっこうな時間がかかった。大体、自分の行う行動全ての意味を理解している者などいるのだろうか。いるとしたらぜひとも会ってみたいと思う。

しかし考えてみればある意味、彼こそが自分の行う行動全てに意味を持たせている人物そのものかもしれなかった。わたしたちの上司で、おそらくこの街にいるほとんど全ての人間が親しみを抱いている。その最たる原因は彼の優しさだった。
大抵の人は(多分わたしを筆頭に)優しさというものに偽善のカバーをかぶせている。紛い物の優しさというものにはほとんどの人が気づいてしまう。自分でもかぶせたことがあるから、人は敏感にそれを察してしまう。そして紛い物の優しさの代わりに孤独を抱きしめていじけるのだ。ちなみにそれを蹴飛ばす人はわたしたちのような人種になる。一方で彼の優しさは本物だった。純度100%の彼の本心。だからこそ、人はみんな彼らのもとに集まるのだ。

そこでわたしは思う。彼は優しさは偽れない。しかし他の部分はどうだろう、と。
わたしの目に、彼は自分を殺しているように映った。優しさ以外のところで彼は自分をごまかしている。目を背けている。そのことが悲しいことなのかはわからない。優しさを偽れないような人間にとってそれがどんなに身を裂かれる思いなのかも、きっと絶対にわからない。わたしは軽薄な人間だから。

彼が守ろうとしているものが何なのか、わたしたちはすでに気づいている。そうして彼のことを救っている。でももう一方の手では彼の首をじわじわと絞めていっている。彼を崇拝し、付き従い、頼る者たちがいなければ、物事は今よりもおそろしくシンプルだったはずなのだ。

カプチーノをすすりながらそんなことを考えていると、先ほどからこちらがずっと視線を合わせようとしないことに呆れて、不機嫌なんだな、と彼がぼそりと呟いた。
よりどころとなり、心の盾となるものを人はきっと愛という。しかし人を愛する才能は、はたして本当にその人を救うのだろうか。