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珍しく少しも眠れそうになかった。俺は生来不眠とは無縁の性質なのだが、今晩に限ってはそれがどうしてもできそうにない。理由は探すまでもなかった。毛布をはねのけ、起き上がる。
照明を落とした部屋はやけに静かだった。軍艦の名にしっくりとくるそっけなさだ。ルームメイトがいれば寝息のひとつも聞こえるだろうが、生憎そいつは件の闘いで去ってしまっていた。瞬時に大破したから即死だっただろう。俺のジンの連絡系統は作戦のかなりはじめの段階でイカれてしまっていたので、俺は彼の断末魔をきくことはなかった。
俺はジャケットを羽織り、部屋を出た。床を蹴って無機質な通路を抜けて談話室に出る角を曲がった。ひどく喉が渇いていた。談話室にはあたたかい飲み物がある。部屋にはいろうと足を踏み入れかけ、ふと、人の気配を感じて動きを止めた。
宇宙を透過する、大型の強化ガラス。ちょうどデブリ帯を通過している最中らしく、視界の大部分を機械の残骸が埋め尽くしていた。その前に、テトラが一人で立っている。手すりに両肘を駆けて全体重を預け、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
俺は空気を乱さないように静かに体を滑り込ませた。物陰に隠れる音にも気付かない様子で、彼女は無防備な姿を俺の前に晒している。
声をかけようかどうか迷った。眠れなくてコップ一杯の飲み物を求めてここまで来た、その言い分に嘘偽りはない。しかしそう言った後に彼女がどういう表情をするのかまったく想像がつかなかった。
かわいそうな少女だ。決して人に助けを求めることができない少女。寄りかかる肩を見つけることに憶病で、そのくせ自身の脚は驚くほどに細い。
周囲の人間を苛立たせる要因のひとつとして、あの事件の前後で彼女に目立った変化が訪れなかったことが挙げられる。彼女の生活はいつも通り、そのほとんどを機械いじりと読書と音楽に注ぎ込むかたちで滞りなく流れていた。そのことを不謹慎だと表現する輩ならもちろん大勢いた。彼女は人々の非難の的になったけれども、受け入れたというよりはむしろ至っていつも通り、すべてを諦めて受け流しているように映った。だからこそ悪意に蝕まれるということがなかったのかもしれない。
彼女が多くの命を散らせてしまったことは事実だ。特にそのうちのふたつは、ホーキンス隊の仲間にとってかけがえのないものだった。しかしそれによって多くの命が救われたこともまた事実だった。彼女は感謝されてしかるべきだったのに、周囲はそれを拒んだ。感謝の代わりに投げつけられたのは畏怖と不信だけ。彼女は命の取捨選択を行う。正確かつ無慈悲に。
彼女には彼らを憎悪するだけの正当な理由があった。でも彼女が選んだのはただ口を引き結ぶことだけだった。その中に翳りは見られない。俺はそれがただひたすらに哀しい。
ふと、窓の外を眺める彼女の頬が光っているのに気づいて、泣いているのかと思って唾をのんだ。でもよく見れば月の光が反射しているだけであったことはすぐに知れた。彼女は外を眺めているだけだった。
なんの合図もなかったが、ふいに彼女はまるめていた背中を伸ばしたかと思うと、床を蹴って部屋を出ていった。最後まで俺に気づくことはなかった。完全に気配が消えたのを確認してから彼女がさっきまでいた場所に向かった。手すりはまだほんのりとあたたかい。けれどどこか弱弱しい。
俺は彼女と同じように窓の外に視線を移した。目に映るものは多すぎて、彼女が何を見ていたのか知ることはかなわなかった。もしかしたら何も見ていなかったのかもしれない。彼女なら十分にあり得ることだった。
気配を感じたわけでもないのに、俺は視線を床に落としていた。おとした先には金属製の光があった。無重力なので完全に床に落ちるわけではなく、足もとを心もとなく漂っている。
ロケットだった。
彼女がこういうものを身につけていた記憶はまったくないが、状況から考えて彼女のものなのだろう。断定することをためらったのは、意外だったからだ。彼女が思い出を大切にするような女だとは到底思えなかった。
ロケットを拾い、表面を親指でなぞった。シンプルだが高価さを感じさせる精巧なつくりだった。指先が震えたのは、どこか予感があったからなのだろう。