鷹か嵐か(3部)

 
 
部屋に戻ってシャワーを浴びて、作業着に着替えた後まっすぐに格納庫に向かった。本来パイロットにはこういうものは与えられていないのだけれど、わたしがあまりにメカニックの仕事に入り浸っているので見かねた隊長が一着手配してくれたのだ。もうずいぶん前のことになる。
端末をつないでセンサーのメンテナンスをした。これは本職のメカニックたちがやってくれているのだろうけど、言葉では伝えにくい微妙な手ごたえは、説明するより自分で直してしまった方が早い。
作業を半分くらい終えたところで人の気配を感じた。誰かがこちらへ近づいてくる。といっても心当たりはひとつしかない。無視を決め込むことにしてキーボードを叩く。
「あの・・・」
キーボードのかたかたという音だけがハンガーに響く。来訪者の去る気配はない。去るつもりもないだろうとわかっている。せめてもの抵抗に一瞥をくれてやろうと顔をあげ、思わず心臓が跳ねた。知らない人間が目の前に浮かんでいた。制服も赤ですらなかった。わたしが驚いていることに彼も驚いているようだった。
「・・・どうかしました?」
否定の言葉を返そうとして、代わりにきこえてくる音に集中してしまう。なんだこいつは。彼は姿勢をただし、敬礼しながらはっきりとした声で言う。
「今日から臨時でホーキンス隊に配属になりました。ミゲル・アイマンです。よろしくお願いします」
「今日だったんだ」
「はい」
「あなたひとり?」
「はい。俺は本来クルーゼ隊所属なんですが、正式な補充パイロットが決定するまでということで」
「クルーゼ隊なの」
「はい。光栄です。ここはクルーゼ隊と同じくらい名門チームだって言われてますよね?」
「選ばれたって言いたいの?」
「いえ、そういうわけではないんですが・・・」
ミゲルは笑った。
「だって、ホーキンス隊でしょう?『魔女』がいるのは」
わたしは黙ってツールボックスの箱をあけた。特に必要なものがあったわけではないので、すぐに閉めなおした。
「『魔女』、テトラクレーメル。すごく噂になってます。軍だけじゃなくてアカデミーでも彼女の話は持ちきりだそうですよ。一晩で連合軍のドレイク級1隻とネルソン級4隻を落としたっていう、プラントの英雄」
「・・・英雄?」
「そう。すごいですよね。クルーゼ隊長にも匹敵しますよね?」
「・・・さあ」
「あ、そうだ。クルーゼ隊っていえば、俺の後輩でトップのアスランってやつが・・・」
そこでふとミゲルは口をつぐんだ。
「すみません、もしかして今お仕事中でしたか」
「違うよ」
「そうですか、よかった」
くしゃりと笑う。なんだか奇妙な心地がした。こうして初対面の人間にきやすく話しかけられるなんて、まるで誰かさんみたいだなと思った。初対面だからこそ、なのかもしれないけれども。
「紫のカラーリングのジン・・・これが『魔女』の機体ですね」
「そんなことまで伝わってるの」
「もちろん。天才がどんな機体に乗っているか、気になりません?」
「『魔女』が天才かわからないけど、本当の天才なら機体を選ばないでしょう」
「・・・まあ、たしかに」
「あなたもきっと同じ機体に乗ることになると思うわ。最近艦長が新しいのを2台搬入していたから」
わたしは左の方をさした。今はまだ工場から出荷されたままの状態だが、明日から彼にあわせてメンテナンスが行われるのだろう。
「いや、俺は自分の機体を持ってきました」
「どれ?」
「ジンです。かなりカスタムしてますけど」
どこか誇らしげに言いながらも、視線はしきりに紫のジンにやっている。
「近くによって見てもいいですか。メンテナンスのお邪魔にならなければ」
「どうぞ」
ミゲルは床を蹴ってコクピットの方に飛んでいった。わたしは端末に目を戻す。見慣れた画面はスクリーンセーバーに変化していた。
「なんで紫なんでしょうね」
「さあ」
「見たとこ普通のジンですね?でもやっぱすげえんだろうなあ。早く一緒に戦いたいですよ。想像もつきません」
「実戦では敵に集中した方がいいと思うけど」
「だって!『魔女』ですよ、『魔女』!」
彼は興奮しているようだった。わたしより5メートルくらい高いところにいた。何をみているのだろう。わたしはしばらくその姿を眺め、すぐに端末に戻った。メモリースティックをいれかえて、昨日くんだプログラムをインストールする。少し時間がかかりそうだったので、パルデュスのメンテナンスをしようと思った。ツールボックスを持って立ち上がると、目の前にミゲルがいた。
「ありがとうございました。これからよろしくお願いします」
にっこり笑う。あまつさえ方手を出してくる。わたしはその手をおそるおそる握った。あたたかい大きな手だった。年下だろうか、でもわたしの手よりかなり大きくて、骨っぽい。
それじゃあまた、と言ってミゲルは敬礼をした。エレベータの方へ消えていく。入れ違いで別の入り口からハイネが入って来た。シャッターの向こうにきえていく背中を見ている。
「なに、あいつ」
「臨時増員だって。ミゲル・アイマン」
「知ってるよ」
「じゃあなにをきいたの?」
わたしは笑った。
 
 
 
 
 
入隊のあいさつがあったのはそのすぐあとのことだった。案の定、呆気にとられた顔をしたあと、
「本人だってなんでさっき教えてくれなかったんですか」
意地が悪いですよ、すねた口調でこぼしたので、あなた、わたしの名前をきかなかったじゃない、としれと答えた。ひどいなぁ、顔を真っ赤にしてうなる。わたしはその時はじめて彼の瞳と髪がきれいな金色をしていることに気がついた。改めてよろしくおねがいします、と差し出された手は、驚くほど白かった。
隊長は片眉をあげた奇妙な顔でわたしたちをみていた。ハイネも変な顔をしていた。わたしは握られた手をじっと見ていた。