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高校の三年間はある程度の粘度をもってゆっくり進んでいったのに、大学の三年間というのは、どうもさらさらと流れていくものらしい。卒業まであと残すところ一年となり、高校の三年間と比べて愕然としてみたりもするのだけれど、無為に過ごしているという意味ではどちらも同じだった。やはり彼女は同じ愚かなことを繰り返している。
葛葉は外国語を専門にする大学に入学していて、二年目に専攻を決める際、希望者が少なかったからという理由でロシア語を専攻した。卒業論文を書く段となった今でも興味は絶えないので、間違った選択ではなかったということだろう。そんなわけでこの選択は、彼女の人生の中でも数少ない、後悔のない過去となっている。
一方で臨也は自分のことはまったく話さなかった。学校に行っているのかそれとも働いているのか、それすらも言葉巧みに濁してしまうので、彼女は臨也のことを何も知らない。三年間(高校もいれたら六年間)の付き合いでこれは異常なのでは、とわかっていたけれど、どんな異常も臨也が関わるとすぐに日常になってしまう。掴みどころのなさは相変わらずだった。時々気が向いたときにふらりとやって来ては夕飯をせびって帰っていく。そのまま泊っていくこともあった。まるで野良猫のようだ、というとあまり良い顔はしなかった。彼の手はいつも冷え切っていて、自分のそれであたためることができるのを彼女は少し誇らしいと思う。
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春の指標としての桜が散ろうとしている。平和島静雄とばったりはちあわせたのはそんな折だった。
金髪に色つきサングラスという高校の時とはかけ離れた外見だったけれど、哀しいことにすぐにわかってしまった。しかしなぜ彼に注目したかといえば、隣りにもっと目立つ連れがいたからだった。細身の黒スーツを着た女性と一緒に、大きな漆黒のバイクの横でなにやら話し込んでいたら、いやでも人目を引く。静雄の方は少ししてから葛葉の視線に気づき、10秒ほどの間をおいたのちに眉をあげた。
話すことに障害があるのか、端末を使って別れを告げた女がバイクに乗って去っていくのを見送りながら、
「よかったの?」
葛葉はきいた。
「彼女さん、ひとりで帰しちゃってよかったの?」
「ああ?馬鹿いえ。あいつはただのダチだ」
彼との会話はとくに弾むということがない。だがゆっくり確実に進んでいく手ごたえがある。川のそばの草むらを歩いて行っているような感覚だ。驚くほどに3年前と変わらない。
「お前はいるのか?」
「いない・・・かな。静雄は?」
「いねぇよ。怖がって近寄ってすら来やしねぇ」
「昔からそうだねぇ。それにしても、恋って難しいよねぇ」
静雄は訝しそうな顔をしたが、彼女は振り払うように笑った。
「そういえば、静雄、覚えてる?高校の時、わたし静雄のこと好きだったって」
「は?」
「あれ、もしかして記憶にすら残ってない?ほら、三年のバレンタインの日に、チョコと一緒に渡したでしょ、ほら、今思い出すと笑っちゃうけど、ラブレター。でも結局静雄は放課後教室に来てくれなくて。まああんなにきれいな彼女さんがいたんじゃ仕方ないか」
「・・・ちょっと待て」
そこで初めて葛葉は静雄の呆気にとられた表情に気がついて口をつぐんだ。
「一体なんの話だ?」
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「机、間違ったんじゃねえの」
そんなはずはない、と彼女は思う。あの頃はばかみたいに、それこそ受験の最中だというのに、静雄のことしか考えていなかったのだ。間違えるはずはない、と彼女は思う。
静雄の恋人だと勘違いしたのは中学校の先輩だったらしい。しかもその日合流する予定だったもう一人の先輩と当時付き合っていたそうだ。
何かひっかかるものがあるが、それがなんなのか、彼女はうまく表現できなかった。静雄の方はあっけらかんと笑っている。見ているうちに、笑い話にしてもいいのか、と自然と葛葉も納得し始めていた。
ひとしきり笑ったあと、静雄はため息をついた。
「やりなおしてみるか?」
今度は葛葉が笑う番だった。
「そんな、高校の時の話だよ?」
「まあそうなんだけどよ・・・くそ」
不自然に泳ぐ視線に、何度も繰り返される舌打ち。
「もし、高校の時、俺もおまえのことが好きだったって言ったら、笑うか?」
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いつも通りなんの知らせもなく臨也はひょいとやってくる。葛葉は無言で食事の支度をする。これもいつものこと。
ワンルームマンションのテーブルは手狭で、座椅子の前で組まれたすらりと長い脚は窮屈そうだ。いただきます、とお椀をとった臨也を見る。人差し指の指輪。荒探しをしてやろうと慎重に吟味する口の動き。「ねえ」
箸をもった姿勢のまま、顔だけが葛葉の方を向く。
おかしな間があき、ぼんやりと宙を見ながら口を開く。
「臨也、高校三年のときのバレンタインのことで何か言うことない?」
「言うこと?」
臨也は小さく顎をあげる。口角も一緒に持ちあがる。
「ないね」
心臓がどくりと鳴った。