この温室は薔薇で溢れている。旦那さまの趣味だった。旦那さまは孤独な人だったけれど、美しいものを愛する魂を秘めた人だった。あるいは孤独だからこそ人として到達しえない領域の美を愛するのかもしれない。
美の具現ひとつひとつに丁寧にじょうろで水をやった後、失礼して頂いてきた数本にぱちんぱちんとハサミをいれる。すると突然自分と花以外の気配を感じて視線を斜め下に転じた。
あるはずのない高さに人の頭があって、思わずハサミを取り落としてしまう。バラもまた、そのあとを追うようにばさばさと音を立てて落ちたので、慌ててそれらをかき集めた。その一部始終を、元凶である人形は静かな湖のような瞳で見ていた。
「大丈夫?」
人形はひどく大人びた声で喋った。
「あ、はい。大丈夫です。少しびっくりしてしまって」
「驚かせてしまったね、ごめん」
「いえ…」
旦那さまが“こう”いう人形を手に入れられたことは知っていたが、こうして実際に会ってしかも会話するのは初めてだったので、こちらとしては内心穏やかでなかった。怖い、というのとは違う。別のところにある違和感をぬぐいきれない。
その人形は一見、ごく普通の少女に見える。肌などまるで赤子の頬そのままだし、動きも滑らかで何一つ人形らしいところなどない。しかしその凛とした顔立ちや妙に物憂げな眼差しと、そのサイズは明らかに不自然で、いやがうえにも彼女が人外のものだと強調してしまうのだった。その危うさこそが人形としても魅力ともいえるのかもしれない。
居心地の悪さから、彼女から目を離して作業を再開した。旦那さまの部屋に飾るのだ。
「この花…」
突然、声がかかった。椅子の上に立って(そうしないとテーブルまで顔が届かないのだ)テーブルに顎を乗せてこちらを見上げていた。悲しそうな瞳。彼女は庭師であるということだった。それも、人の理解を超えた。
なんとなく、その先に続く言葉を予想できて、私はちょっと面倒くさいような、うんざりしたような、後ろめたい気分になった。
「切られたのに、生きてる。ちゃんと鼓動が…息が感じられる。こんなバラを見たのは初めてだ。君がやったからだね」
予想を大きく外れて、彼女は微笑んでいた。驚いたことに慈しむような眼差しでみている。他の人が言うとただの口説き文句に聞こえるだろうに、彼女が言うと妙に現実感と説得力があった。
「愛しているんだね」
何を、とは言わなかった。恥ずかしいのでわざわざきくこともなかった。
「そういえば、何か用があったんじゃないですか」
ああ、忘れるところだった、という。
「あっちの黄色いバラの咲いているところへ行きたいんだけど、水溜りがあって僕ではこえられないんだ。だから抱っこして連れて行ってもらおうと思ったんだ」
わたしは思わずくすりと笑ってしまった。
「それはご命令ですか?」
いたずらっぽくきけば、
「違うよ、お願いしているんだ。君と一緒に行きたいんだよ」
ちょっと頬を高潮させて、甘えるように言ってくる。誰かの影を重ねているのかもしれない。