放課後の教室の、一番窓側に近い机の並び。傾きかけた夕日の橙色を浴びながらノートを無造作に捲る。そんな彼を偶然発見した私は、少し前から隣の席に座っている。
「SFが好きなの?」
「どうしてですか」
問い返してからすぐその理由に思い当たったようで、彼は考え込むような沈黙を少し挟んでからあっけなく否定した。「勿論嫌いなわけではないですし、SFの中にも好きな作品はありますよ」と、SF好きを擁護する言葉も忘れない。この持ち前の優しさとルックスが、クラスの女子を夢中にさせてやまない元凶だった。
「そもそもあそこはSF好きの集まるところではありませんよ」
「とてもそうは思えないけど」
「団長が団長だけに、ややこしい事情があるんですよ」
おどけたように笑ってみせる。それで上手くまとめたつもりなのかもしれないけれど、笑顔がわずかに強固になっている。そして私はそれを見逃さなかった。 相槌を打ってから、机の上においてあった赤い携帯を手にとる。
「これ、友達が持ってるのと同じだ」
「割と新しい機種ですよ」
「開いてもいい?」
「何も面白いものはありませんよ」
彼の言うとおり、その携帯はシールが貼ってあるわけでもなく、待ち受け画面に至っては初期設定のカレンダーと時計というシンプル極まりないものだった。彼らしいといえば彼らしい。
「ね、面白いものは何もないでしょう」
にっこり笑い、ひょいと私の手の中から携帯をつまみあげるとそのままポケットにしまった。
「さて、そろそろ行かなくては。団長がうるさいですからね」
また明日。そう言い残して彼はしずかに教室の外に消えた。私はしばらくの間、彼のくぐった方の入り口を眺めていた。
今は部活の時間で、彼は本来この教室にいるはずではなかったのだ。
さて、と心の中で自らを奮い立たせ、私もまた教室から離れる。昇降口へ向かうため、階段に続く角を曲がったところで彼と思いもよらぬ再会を果たした。驚きのあまり声が出て、全身がひやっとしたのがわかった。それが彼だったからというよりも、突然人が現れたことに対しての驚愕だった。
「…どうしたの」
「いえ、今日はもう解散だと言われたので、花村さんと一緒に帰ろうかと思いまして」
すました顔をしてさらりとそんなことを言う。言葉を失い赤面してしまった外面とはうらはらに、内心では警戒心を解かない自分がいる。彼が言うと、どんな真面目な言葉も軽薄に聞こえてしまうのだ。そんな風に彼と接するのは、クラスの内では多分私一人だろう。
どう反応したものかと考えあぐねているうちに、階段を上ってくる別の気配を感じて二人してそちらの方を向いた。件の破天荒団長が階段の手すりに手をかけてこちらを睨み上げていた。悪くもないのに思わず謝ってしまいそうになるじっとりと湿った視線だった。
「あなた、超能力者?」
「え?」
「もうこの際吸血鬼でもいいわ。ねぇどうなの?正直に言いなさいよ」
なにがこの際なのだろうか。この場合なんて返すのが得策か、そもそも常人の頭で考えだした答えが果たして彼女に通用するのか、思考を停止させていると、彼の方から否定のフォローが入った。団長は納得いかなそうではあるが一応の返事し、それでもこちらを無遠慮に覗きこむことはやめなかった。
「…古泉君の彼女?」
普通そっちからきくんじゃ、と思ったものの、口に出す勇気など私にはない。
ふたたび入った古泉君の否定の言葉に、彼女は不服そうな顔を隠そうともしないまま階段を降りてあっという間に私たちの視界から消えた。なんの挨拶もない慇懃無礼な彼女の態度に私はあっけにとられてしまう。同意を求めて古泉君の方を見ると、彼は涼宮さんの消えていった方向をじっと見つめていた。こいずみくん。名前を呼ぶと、はっとしたように切れ長の目が震えた。それからはもういつも通りの小泉君で、
「では、帰りますか」
と、にっこりと笑った。
私が本屋に行きたいというと、当然のように彼もついてきた。私は背後にぴたりと寄り添う気配に落ち着いて本を選ぶことも出来ずに、結局ノートを買っただけで出てきてしまった。馬鹿馬鹿しい。そう思うのと裏腹に顔は自分でもわかるくらいに熱い。
「メールアドレスを交換しませんか」
「え?」
「何かあったら・・・いえ、何もない方がいいんですが。とにかく、連絡してください」
思わず彼の顔をまじまじと見上げてしまう。先ほどと同じ笑顔がそこにあった。ふつふつとこみ上げてくる嬉々とした感情に反して彼の目に何かを危ぶむような色が混じっていたことに、その時の私が気づけるはずもなかった。